イスラム文化と砂糖と十字軍

7世紀にイスラム教が成立、それを背景とするイスラム帝国が勃興する。同じ頃ペルシアではサトウキビを発酵させない精糖法が考案され、長期保存が可能になった砂糖は貴重な交易品としてイスラム帝国の拡大とともに東西に広まっていった。711年、イスラム帝国ウマイヤ朝の時代には、北アフリカ一帯も勢力下に治めイベリア半島も征服、地中海沿岸に大きく版図を広げた。合わせてサトウキビの栽培と精糖技術も地中海沿岸諸国に広がったが、ヨーロッパに広く砂糖が知られるようになるのは、後の十字軍の時代であった。

イスラム教成立以降キリスト教世界との対立は続き、ヨーロッパにおいてようやく国家的安定が得られはじめた11世紀から13世紀までの200年間、聖地奪還を掲げて幾度もキリスト教圏から東方へと十字軍の遠征が行われた。人の往来は交流を生み軍路の発達は物流を助け、結果として砂糖や香辛料をはじめとする東方の物産がヨーロッパに広まる事となった。だが、イタリア諸都市を通じ地中海貿易でしか得られない砂糖は、貴族や富裕層の間でしか手にできない貴重品であり、そのほとんどが滋養のためのいわば薬用として処方されるもので、菓子製造に利用するのではなく、当初はわずかにふりかけるといった用いられ方だったとも考えられている。また、貴重品であった砂糖の取引はやがて教会の許可制となり、修道院などで薬酒として作られていたリキュール酒の材料として香辛料と共に用いられる事となり、後年、甘いリキュール酒として菓子作りに活かされる事となった。

砂糖だけでなく、十字軍のもたらした文物はヨーロッパの菓子作りに様々な影響を与える事となった。 小麦の育たない寒冷地でも栽培できる穀物、ソバも十字軍によってヨーロッパにもたらされたもので、フランスではサラザンと言われている。中世においてアラブ諸民族を指すサラセンに由来した名だと考えられており、現代でもクレープなど様々な菓子に利用されている。また、フランス南西部に伝わる「パスティス」とモロッコに伝わる「パスティリャ」や、オーストリアの「シュトゥルーデル」とトルコの「バクラヴァ」の形の類似などから、広い範囲での交流があったとも考えられている。

食文化の暗黒期とも言われていた中世だが、ローマ時代に基本がほぼ完成していた各種の焼き菓子には、砂糖やリキュールなどによる更なる工夫の素地が用意された時代でもある。さらにインド原産のオレンジやレモン、中国原産のアプリコットなどがイスラム世界を経由して、さらに十字軍により運ばれ、砂糖の広まりとともに砂糖漬けにされた果実が、食後のデザートとして用いられるようになり、糖菓としての確立につながる事となる。そして、ブドウ酒や果実のジュースを入れた容器を塩を混ぜた雪や氷の中で撹拌するといった、現代にも通じる氷菓の製造法も伝来し、アラビア語で飲むを意味する「シャバリ」が語源と言われる、フランスの「ソルベ」、英語の「シャーベット」といった氷菓もイタリアなどで作られはじめた。

現代欧風菓子の、小麦粉などの焼き菓子を主体としたパティスリー(Patisserie)、糖質が主体となった糖菓であるコンフィズリー(Confiserie)と氷菓であるグラス(Glace)といった大別は、中世の十字軍の東方遠征により図らずも育まれた文化交流によって成立していったとも考えられている。