フランス美食の王国
フランス菓子が世界に知られる完成度を得る背景には、ヨーロッパ諸国の興亡と王朝間の婚姻があった。諸侯が割拠していた西フランク王国をまとめたカペー朝が1328年に断絶した後、フランスはイギリスとの百年戦争に苦しむ事となる。1453年にフランスの勝利で戦争は終結し、以降、次第に国力をつけ幾度もイタリアに攻め入り、イタリア戦争を引き起こした。1533年にメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスが、政略結婚とも言える形でフランスのアンリ2世に嫁している。文化的には後進であったフランスに、ナイフとフォークを持ち込んだと言われ、実際に当時のイタリアの生活様式が全て再現できるよう、料理人や製菓人まで供にしていた。シャーベット、マカロン、フランバジーヌ、プティ・フールなど、今日フランスの伝統菓子とも思われているほとんどは、イタリアから伝わったものだとも考えられている。さらに1615年ルイ13世にスペイン王フェリペ3世の娘アンヌ・ドートリッシュ、続く1660年ルイ14世にスペイン王フェリペ4世の娘マリア・テレサが嫁ぎ、チョコレートとその調理法もフランスに渡った。ルイ15世に嫁いだポーランド王の娘マリー・レクチンスキーは父娘ともに美食家でも知られており、ババやヴァローヴァンを創造したと言われている。1769年オーストリアのマリー・アントワネットがルイ16世に嫁いだ事で、ドイツ菓子の製法も流入する。ヨーロッパ主要国の菓子の製法がフランスに集まり、ヨーロッパの菓子の集大成としてのフランス菓子が、その完成にむけて大きく躍進する事になる。